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Occupied Japan 第二次世界大戦後占領下の日本で


《CRAFT Mai》より
 第二次大戦後、占領下の日本。
進駐軍が闊歩する大阪ミナミのカメラ店で、父(ハコ物館館長)は丁稚奉公をしておりました。

 ミナミのお店や進駐軍駐留地の支店には、連日米兵たちが、撮影したフィルムの現像依頼にやってきたそうです。
山のように積まれたフィルムに収められていたのは、出兵先の朝鮮での様子や日本の風景…

 父の話しに耳をかたむけるうちに、
その当時米兵たちが使っていたカメラはどんなカメラだったのか知りたくなりました。
(←当時の大阪ミナミ 周防町)
   Mamiya16にて撮影


「ややぁ、これはなんだ〜〜」


「すっげぇ〜〜」




 米兵たちが持っていたカメラ
( 第二次世界大戦終了後の占領下と朝鮮戦争の頃)
   
Kodak Flash Mite  argus    Ansco  Bell & Howell


    
coronet            Falcon  

   
Kodak ReflexU       BOXカメラ        argus 

どうですか?
どのカメラも個性的でしょ。
個々のカメラについて、詳しく書きたいのですが、今回はちょっと手抜き。
 (人形の方が落ち着いたら、アップします。)

丸善の展示会に来ていただいた方は、実物に会えるかもしれませんよ。


 ところで、このページの最初に登場した粘土人形の米兵が首から下げているのは,上段左から1番目のカメラです。


****** フィルムの話 ******
カメラたちの後姿に注目
〈順不同〉


最近のカメラには見られない丸い窓がありますね。
この窓の正体はなんなのでしょう?

その答えは使用するフィルムにあります。




このように、裏紙がはられたフィルムを使用することが多かったのですが、
現在のカメラのように
自動的にフィルムが1枚分ずつ送られる機能をもったカメラは少なく、
自分で適量を巻き取ってやらなくてはなりませんでした。
そのときの目安になるものがコマナンバーでした



コマナンバーとはフィルムの裏紙に印刷された数字のことで、
丸い窓からこの数字を見ることによって
フィルムが送られていることを確認することが出来たのです。
同じ数字が数カ所に印刷されているのは
カメラの形状や窓の位置の違いに対応するためです。


したがって、この窓の正体は
フィルムが送られていることを確認する
コマナンバーを見るための穴
でした。

一昔前のカメラって、世話がかかりますね。

当時の庶民にとって
《カメラ》はとんでもない高級品でした。

ともかく、食べて生き延びることが最大の課題。

が、そんな中でも
いわゆる〈4畳半メーカー〉では多くのカメラが作られ
闇市などに出まわっていたようです。
また一方で、これらのカメラは輸出され、
外貨獲得に一役を担いました。



当時の工業製品には
カメラに限らず

占領下の日本で作られた = Made in Occupied Japan 

 と明記することが義務づけられていました。

この置物もoccupied  わたしのお気に入りです。

底面にはmade in occupied Japan



ハコ物館で見かけた
Occupied Japan のカメラやグッズをご紹介しましょう。



 Made in Occupied Japan

ライカ型ライター

MAMIYA 16

ペタル

GEMFLEX

Snappy

カメラ型ライター

カメラ型ライター

豆カメラやカメラ型ライターなどです。
こちらも説明は手抜きします。
展示会に持っていくかもしれません。



ちょっと中途半端な内容になってしまいました。
粘土人形が落ち着いたら、
アップしたいと思いますので、よろしかったらまたおこしくださいネ。


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